ある航空会社の客室乗務員の研修会の事が新聞の記事として掲載されていました。講師の先生は、お客様を歓迎する為に、目を三日月形にするように指導されたと記されていました。なるほど、目を三日月形にするように努めれば、自然な笑顔を作る事が出来て、相手を歓迎する雰囲気を醸し出す事が出来ます。
ただ、「目は口ほどに物を言う」とも申します。もし苦手な人が現れた場合、三日月形の目を作る事は、至難の業になります。苦手な人を見る時、私達はどうしても裁くような目を相手に向けてしまうからです。
このような時、私達の心は、相手を受け入れる事が出来ない、或いは相手を受け入れたくないので、相手を自分の心の中から追い出したいと言う思いで一杯になっています。相手を受け入れる為には、自分の心の在り方を変えるしかありません。
その為に、イエス様は仰いました。「敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈りなさい」。(マタイ5・44)確かに私達は、誰かの為に祈っていると、その人が私達の心の中に住まうようになります。好感を持っている人ならば、努力するまでもなく自分の心の中に住まわせる事が出来ますが、その逆のタイプの人であれば、私達の心の中に住まわせる事は、不可能な事に思えてきます。それゆえイエス様は、私達に祈るように命じられました。
イエス様はまた、次のように仰いました。「あなた方の天の父が完全であられるように、あなた方も完全な者となりなさい」。(同5・48)父なる神様は、全ての人をご自分の心の中に住まわせようとしておられるのだと思います。全ての人に及ぶ、そのまなざしは、慈しみに満ちている事でしょう。その心に、少しでも近づけたらと思います。