「まなざし」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、祖母の笑顔。にっこりと私を見つめる優しいまなざしが、「ケーン」と呼びかける声とともに蘇ってくる。
幼い頃の私は反抗期が激しく、母に歯向い叱られては、泣きながら隣りの祖母の家に駆け込んでいたが、祖母は初孫同然の私を大変可愛がってくれた。縁側の雑巾がけを私が手伝うと、なぜかいつも梨をむいてくれた。食べる私を笑顔で見つめ、「ケンは可愛いかー」と言いながら頬に口づけを連発してくる。祖母の目を盗んで頬をこっそり拭き、食べ終わると祖母は私を香台(家庭祭壇)の前まで連れて行った。祭壇に飾られた祈る少年サムエルの絵を見せ、「心がきれいで素直か子どものお祈りば、神さまは一番聞いてくれるとよ。ケンもこがんふうにお祈りする人にならんね」と言う。
日曜日には、浦上キリシタンの末裔である祖母は手を引き、私をミサに連れて行った。坂の途中のマリア像の前で祖母に「ここでは必ずお辞儀よ」と言われ、今でもそこを素通りできない。また祖母の家にお泊りし一緒に夕の祈りをすると、祖母は「聖マリアの連祷」を何も見ずにスラスラ唱えている。私は祖母を尊敬のまなざしで見つめた。やがて私は大人になり、帰省して祖母の死が間近の病床へ駆けつけると、普段は無反応だったはずの祖母は首を動かし、涙目でしっかり私にまなざしを向けてくれた。祖母が召された後、形見にロザリオをもらった。香台にはマリアさまが10人以上おられた。
祖母はマリアさまをしっかり見つめていた。マリアさまは慈愛に満ちたまなざしで、幼な子イエスさまを見つめておられる。私もそのようなまなざしで、神と人をしっかり見つめ続ける者でありたい。