▲をクリックすると音声で聞こえます。

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

 「私たちの日ごとのかてを、きょうもおあたえください」

 これは、キリスト教で最も広く唱えられている「主の祈り」という祈祷文の一節です。現代では「心の糧」など比ゆ的な表現に使われることもよくありますが、基本に返れば、これは文字通り、今日、生きるための食べ物を手に入れさせてくださいという、生命の根本にかかわる神への訴えです。

 中学1年生で初めてこの祈りを通して「かて」の意味を真剣に考えたとき、この一文が私の心に刺さってきました。

 病弱だった私にとって、食事は楽しいものではなかったので、その食事を与えてほしいと神に祈るのはちょっぴり複雑でした。けれども、社会系の授業で世界の食糧問題について学習するにつれ、この祈りの恐ろしい深さに気づかされて愕然としたのです。

 私は体質のため食べられないのですが、食べたくても食べられない環境ではないのだとあらためて認識したのです。だとすれば、食事が苦痛だから祈りたくないとは、大変自己中心な感覚といえます。人に優しくありたいと思っていながら、命に直結する食事の部分で、私は食べたくても食べられない環境の恐ろしさを考えることができていなかったのです。自分の浅はかさを思い知らされたのです。

 幸い私は元気に成長し、料理も食事も大好きな大人になりました。自活しはじめると、食べることの重みと、食べられることのありがたさを再認識しました。まずは物理的にきちんと食事を摂れなければ、考える力も出ないしひらめきも浮かびにくい。体に合った食べ方で「かて」を得ることは、そのまま生きることなのです。

 食事ができれば心にも栄養が届きます。この祈りは、そこまで見据えた深いものなのでしょう。