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今井 美沙子

今日の心の糧イメージ

 「糧」という字は米へんに量と書く。

 糧というテーマを与えられて、私は生家の米びつを思い出した。

 生家の米びつは木製で大きかった。

 多分、30キログラム以上の米が入ったのではないかと思う。

 母はその米びつがいっぱいになると、ニコッとして「誰か米ば借りに来んもんかよ。今なら何升でも貸してあげるよっとに」と言うのが癖であった。すると、どこでその母の言葉を聞いたのかすぐにやってきた。

 「ああ、よかよか、1升や2升っちそげんちまちましたこと言わんでよかよ今なら3升でん貸してあげるよっけん」と言って、下げてきた米袋に米を入れてあげるのだった。

 その時の母の顔は輝いていたように思う。

 母は和裁をして生計を助けていたが、縫い賃が入るとまず米びつをいっぱいにした。食客も多かったから、米は必需品であった。

 母は娘3人によく言った。「一家の主婦、おなごはさ、いつ、誰が来てもすぐに食べさせらるっごと、白か御飯はきらしたらいなかとよ」

 戦後まもなくの昭和20年代は白い御飯がごちそうであった。白い御飯さえ、いつも準備していたら、誰がやって来ても、漬け物やつくだ煮などでもてなすことが出来た。本当の意味での糧であった。

 それを現代に置き換えると、コロナ禍の今、食べるにことかく人たちがいて、各地でフードバンクが活躍している。

 その中心はやはり米である。

 物の糧のことばかり書いたが、実は、母は心の糧を先祖代々の信仰によって培っていたのだった。