「人はパンのみで生きるにあらず」と言います。人は、肉体の糧、パンと共に心の糧も必要とします。
「天におられる私たちの父よ」で始まる「主の祈り」に、「日ごとの糧を今日もお与えください」という言葉があります。「日ごとの糧」とは、肉体と心に活力を与える毎日の食べ物、活動のエネルギー源を意味します。特に肉体には、食欲によってエネルギーがもたらされますが、心の糧は、祈りによって、もたらされると思います。
祈りとは、神との話であり、心の声であります。祈りによって、神との連携がより強化され、より多くの恵みを受けることが可能になると思います。
祈りをもって始まり、祈りをもって終わる、祈りの生活、そして、祈りながらの生活、あるいは、祈りが結実するための修行生活を目指していますが、常に"み旨のままになれかし"の心がなければならないでしょう。〝み旨のままになれかし" の心、すなわち神に委ねる心を持たない祈りは、いただいている御恵みを顧みない、私利、私欲、傲慢、わがままな態度だと思います。
私利、私欲、傲慢を撃退・撃滅するには、原罪ある人間のこと、独りではいかんともし難く、神の恵みを願望し、これに縋らざるを得ません。いわゆる、助力の恩寵がなくてはなりません。恩寵を受けるには、まさに「求めよ、さらば与えられん」の教訓に目覚め、より真摯な気持ちを持って、熱い祈りを捧げられる状態に己を置くことが必要だと思います。早朝の寝起き、あるいは、深夜の寝る前の静かな一時に、十字を切り、祈りを唱えるのは、誠に麗しく、賛美すべきことだと思います。
特に、明るい朝の祈りには恵み豊かな一日が期待されます。