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授かったもの

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 「貧しい人々は幸い、神の国はあなたがたのものである」というみ言葉がルカ福音書にあります。(6・20)貧しい人は、本当に確かな「神」に頼って生きるので幸いだ、ということです。お金こそ確かだ、と信じている現代人には通じにくい言葉かもしれません。

 しかし、聖書を読むと神さまが貧しい人たちをどれほど愛し、心をつかっているかがよくわかるのです。神さまは、人の心に働きかけて貧しい人のことを思い出させてくれます。

 旧約聖書の「レビ記」19章には「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも摘み尽くしてはならない。これらは、貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない」とあります。(参 9~10)「申命記」にも「穀物を刈り入れるとき、ひと束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは、寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい」とあります。(参24・19)

 太陽や風や雨、大地は神さまからの無償の贈り物です。人間はほんの少しの労働で豊かな実りを受けとっているのですよ、神の恵みによって得た実りには、貧しい人の分も入っていますよ、ということです。落ち穂で小さなパンを一つ二つ焼いて生きる貧しい人の分まで取り尽くしてはいけないのです。

 これをわたし達の生活に当てはめると、教育を受ける機会に恵まれたこと、心配しないで食事ができる環境にあったことは、みな神の無償の贈り物だと言えます。そうして授かった報酬には、貧しい人の分も入っていることになります。こう考えると、7人に1人の子供が空腹に苦しんでいるいまの日本で、「フードバンク」や「子供食堂」に食品を提供することはとても大切で、そして当然のことだと言えるでしょう。