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授かったもの

松尾 太 神父

今日の心の糧イメージ

 中学生の時、教会で、ある記念に聖書をいただきましたが、ほとんど読むことなく、大切にしまっておきました。

それから数年経ち、高校生になった頃、バス通学だったので、暇を持て余して本を読むようになりました。おもに小説やエッセイなどを読んでいましたが、ある日、あのいただいた聖書を思い出して読み始めました。しかし、案外あっさり読み終わってしまい、そのまま、また時が過ぎていきました。

 言葉は不思議です。表面上は同じ言葉が、その度毎に異なる音色で心に響きます。特に、シンプルな言葉ほど、そのように感じます。

 高校生の時にはそれほど響かなかった「自分のように人を愛しなさい」という聖書の言葉は今、日々なんとも様々な旋律でわたしの心を震わせます。(参 レビ記19・18 マルコ12・31)

 ある時は、明るく軽快な音楽のように心を燃やし、「みんなを大切にしよう!」という気持ちを奮い立たせてくれますが、別の時には、哀しい歌のように響き、「そんなことできるわけがない、人と自分は違うのだ」と、冷ややかな気持ちにさせることもあります。言葉は同じはずなのに、受け取るわたしの心は刻々と変わっていて、無理に納得しようとしても、すぐに良い影響があらわれないことがあります。

 毎日あまたの本や歌や映画が売り出され、言葉にも値段が付けられる現代ですが、言葉は人間が創り出すものというよりも、心に授かるものだと、あらためて感じています。目や耳、肌から入ってくる言葉に呼応するように、わたしたちのうちに、内なる言葉が生まれます。その内なる言葉と忍耐強く語り合うことで、言葉は商売の道具としてだけではなく、心を生かすいのちの糧として、わたしたちの生活に、より豊かな実りをもたらすことができるのかもしれません。