私は子どもの頃から、この世にあるものは全部、神さまからの借り物であると教えられて成長した。
特に水は人間が生きていく上での源にあるから、大切に皆で分け合って使わなければいけないと口すっぱく言われた。
生家の裏には湧き水の井戸があったので、水道なしの生活であった。
しかし、何かで水道水が止まることがあると近所の人たちがバケツを持って井戸水をもらいにやって来た。
父母は上機嫌でそれらの人たちにつるべで水を汲んであげていた。 たまたま我家の家庭に井戸はあるが、それは神さまからの借り物だと思っていたので、父母にすればごく当然のことであった。
やがて私は成長し、都会の片すみに住むようになり、蛇口をひねれば水が出る暮らしをするようになった。
そして、23歳で夫と結婚し、夫の家族と同居した。夫の両親、夫の祖母、夫の弟。夫の父は、私の著書『もったいないじいさん』に描かれたように質実倹約の人であった。
特に水に対しては厳しく、「歯を磨くにはコップ一杯の水、顔を洗うには洗面器一杯の水、お風呂に入るにはバケツ一杯の湯があれば充分」という考えの持ち主であった。
土地も水も、もろもろの食物も人類の共有財産であるということを常々言っていた。
今回、「授かりもの」というテーマをいただいて、まず、生家の両親、今井の両親の生活を思い出した。
水を民営化するなどということは考えられないことである。
今こそ、この地球上の物はすべて神さまからの授かり物であることを肝に命じたい。