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授かったもの

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 私の部屋には、ペルーの首都、リマにあるラス・ナザレナス教会にある「奇跡の主」、スペイン語では「エル・セニョール・デ・ロス・ミラグロス」という絵の大きなレプリカがある。

 この「奇跡の主」の絵はペルーがスペインの植民地だった時に制作された。アフリカから奴隷船でペルーに連れてこられた黒人奴隷が大勢いた。1651年、彼らの中のひとりのキリスト信者である黒人奴隷が、日干しレンガでできた壁に描いた。絵には十字架に両手両足を釘付けにされたキリスト、十字架の上には御父と聖霊の鳩、また十字架のもとには聖母マリアとマグダラのマリア。

 奴隷として、来る日も来る日も牛や馬のように労働に明け暮れる日々...。しかし、奴隷であっても人間である。人間の最も尊い姿は、神に愛され、神を愛することだ。この奴隷が神から授かったものとは?主イエスを描きたいという願望だった。

 主イエスの最期は惨めなものだった。十字架を背負い、3度もころび、衣をはぎ取られ、十字架に釘付けにされる。神であり人の子としてこの世に確かに存在した主イエス・キリストと、奴隷の姿が二重写しになる。奴隷が苦役の中でたった一つ残した作品。ペルーを襲った二度の大地震にもこの壁画だけは崩れなかった。この絵に向かって祈った男の病気が治り、次第に信心は広まり、今では毎年10月には、「奇跡の主」の絵を模写した絵を神輿にして屈強な男たちが、贖罪を表す紫の衣装を着て街を練り歩く。

 時々人生を振り返りふと思う。私にもたったひとつ授かったものがある。それは主イエスの面影を見つめ続けることだったと。苦しい時、不意に去来する「奇跡の主」の面影。いつの日にか顔と顔を合わせる日まで見つめ続けたい。