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授かったもの

竹内 修一 神父

今日の心の糧イメージ

 「子供を産んで、自分よりも大切な存在がある、そのことに気づかされました」――と、あるお母さんが語られました。ただそこにいるだけ、それだけで人間は、本来、周りの人に静かな喜びを与えられるのではないか、とそう思います。どのようにあるか、つまり、何かができるとかできないとか、そういったことは、後の問題です。

 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(ヨブ記1・21)――これは、人間の現実です。この世にあって、どの位生きるか、またどのように生きるか、それは、人それぞれです。しかし、この世における初めと終わりは、例外なく、ここで語られているとおりです。自分の中には、何もありません。

 「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」(マタイ6・34)――と、イエスは語られました。

 以前触れました、良寛さんは、きっとそのような生活を送っていたのでしょう。「天上大風」――そこにこそ、真の平和があるようです。

 自分はいったい何を持っているのか、と振り返ります。パウロは、こう語ります――「いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。もしいただいたのなら、なぜいただかなかったような顔をして高ぶるのですか」(1コリント4・7)――確かに。ふと立ち止まってみれば、自分は、もともと何も持ってはいない。そのことに気づかされます。つまり、すべては与えられたもの。それが、恵みです。ほんのわずかの間、自分に預けられたものに過ぎません。

 けふ来ずばあすは散りなむ梅の花(良寛)