「ともに生きる」という言葉はよく聞きますが、私だけでなく多くの人たちがその言葉の先に自分以外の誰かを思い浮かべるのではないでしょうか?
以前、「あなたの一番近くにいる隣人は、あなた自身だ。隣人を自分のように愛するには、前提としてあなたを愛することができていなければならないのだ。」と教えていただいたことがあります。なるほど、と思いました。案外私たちは自分を大切にすることが上手ではないような気がします。なかなか自分のありのままを認めてあげることができないのです。私は元から自己肯定感の低い人間ではあったのですが、新しい職場で、新しい職種で、これまでやったことのない仕事をするようになってこの言葉の大切さを改めて感じるようになりました。
なかなか思うように仕事のできない自分にイライラしたり、優しく教えてくれる先輩のその優しさに申し訳なくなったり情けなくなったり。自分でも気付かないうちに自分自身を責めることが多くなって来たころに、イエスさまと一緒に自分の心の中を歩いていて、この言葉を思い出させてもらいました。
「私」と一言で言っても、私の中には様々な部分があります。私の好きな私、私の嫌いな私、私の知らない私、私も他人も知らない私...。好きな部分は別として、嫌いな部分、知らない部分はなかなか認めてあげることができません。しかし、神さまは私のすべてを愛してくださっているのだから、その愛に信頼して私自身も私のすべてを愛するように招かれています。なかなかできないことです。でも、大切なことです。
「ともに生きる」とは相手を受け入れることから始まります。自分の一番近くにいる隣人である「私」を受け入れながら、今日も生きていきましょう。