新型コロナウイルスがもたらした害は計り知れませんが、何かしら良いこともあったはずです。
その一つは、ステイホームやテレワークが多くなり、結果的に家族が家庭でともに過ごす時間が増えたことではないでしょうか。
これまでは夜遅く帰ってきた親が自宅にいて、夕食をともに食べることができるようになった家庭は少なくありません。
これは子どもにも親にも喜ばしいことです。食卓は、子どもにとって大切なコミュニケーションの場であり、教育の場です。
食事をしながら、子どもは会話ができます。
「あのね、今日ね、わたしね」というようなたわいのない話でも、親に聞いてもらいたいのです。「このお魚なんていうの?このおかず、おいしい!どうやってつくったの?」
こういう会話ができる機会として、食事の場は適しています。
食事を通して、ともに祈りをささげることもできます。
「父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事を頂きます」などと。
イエス・キリストも、ご自分の友であり弟子である人たちと食事をともにされました。
その中には、世間の人から嫌われていた税吏もいましたが、あえて食事をすることで親しく接したのです。
最後の晩餐では、彼らたちの足を自ら洗ったり、ご聖体の秘跡を制定されたりすることで、今にも生きる重要な教えを伝えられました。
キリストは、この世を去る前に、自分が世の終わりまで、私たちとともに生きていることを伝えておきたかったのです。
ご聖体の秘跡は、いまミサ聖祭の中で繰り返されています。
現代の私たちも目に見える兄弟たちとともに、見えない神様とともに生き、支えられていることを忘れるわけにはいきません。