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ともに生きる

越前 喜六 神父

今日の心の糧イメージ

 言うまでもなく「人」という文字は、二つの棒が支え合っています。そのように、人間というのは、お互い支え合い、関わり合い、助け合って生きているのです。それを看過すると、孤独がいいと思うようになります。

 私は大家族の中で生まれ育ったので、共には生きていました。しかし、両親が亡くなり、兄たちも実家を離れていくと、長男の嫁と二人の子どもと一緒に暮らしていました。けれども毎日、孤独と虚しさと戦争の恐怖の中で生きていました。

 そういう私を救ってくれたのは、一冊のキリスト教の書物でした。その本を夢中になって読んだ子どもの私は、それで神さまを信じ、祈ることを覚えました。

 祈りによって、慰めを感じたわけではありませんが、どんな時でも神さまが共にいてくださる、ということが分かったので、それまでの不安や虚しさが無くなり、むしろ部屋に一人でいることが喜びになりました。郊外にある旧制の中学校に通うときも、大抵一人でした。

 年を取り、昔の同窓生とクラス会を開いた時、ある友人は、私のことを指して、「喜六さんはいつも下を向いて独りで歩いていたね」と言われ、よく観察している者もいるんだと思いましたし、学校を卒業してもう30年以上も経っているのに、よく覚えているもんだねと感心しました。が、その友人もガンで早く亡くなり、寂しい思いをしたものです。

 実は正直なことを言えば、独りで歩いている時も、心の中で神さまに祈っていたんです。神さまと一緒なので、自然に人間の友人も増えてきました。今は、神さまだけでなく、人はともに生きる友がいることも大切なことが分かりました。