私は現在、カトリック司祭の卵を育てる神学院に勤務していますが、神学生を派遣する関係で様々な教会を訪れます。先日は、子供のための礼拝式(ミサ)を、オンラインでするというので、絵本の読み聞かせでそのミサに参加しました。
手話で同時通訳しながらミサの説教をする神父から、説教の内容をなるべく簡単明瞭にしないと通訳し辛いので、話の筋がはっきりしてくると、聞きました。
同じように、絵本を使うときは、どんなメッセージを送りたいのかを考え、その線に沿って絵本を選ぶので、自分でも話がはっきりとし、感情移入がし易くなります。
さて、オンラインのミサは、途中で回線が途切れるというアクシデントはありましたが、無事終了し、神学生とともに会場の後片付けの手伝いを始めました。そのとき「松浦神父さんですよね」と、オンラインの機械操作をしている男性から声をかけられました。「はい、そうですが」と返事をすると、「私、子供の時、神父さんの錬成会に参加しました」とその男性は言うのです。
「小学生の時、鎌倉で行われた第2回のイエズス村です」と。
それで私は彼に嫌な思いをさせたのではないかと考え、「どうして私のことを覚えていたのですか」と尋ねました。すると彼は、「神父さんのミサ、とっても活き活きしていたので、こんなミサもありかとびっくりしたのを覚えています。」と答えてくれました。
ミサでは子供も大人も日常生活の喜びが満ちあふれるように、との私の初心の思いは変わらず、絵本を使ったミサを続けています。彼は40年前からそれは良いことなのだと、私の知らないところで支えてくれていたのだなあと、感慨深いものがありました。