「共に生きる」のは、何と、誰となのでしょうか。普通に日々の生活を送る中では特別意識することはあまりないでしょう。
結婚式の誓いの言葉で「富める時も貧しい時も・・」と夫婦となって夫と妻が共に生きることを誓います。子供が誕生し我が腕にその子を抱くとき、しみじみ「これからの日々をこの子と共に成長していこう」と共に生きる責任を実感します。そして順調な日々が始まるのですが、時には突然の不幸や生活上の困難に出会うことがあります。そんな時、家族が協力してその悪い状況を克服していくとき、互いにかけがえのない存在として深い感謝と愛情を持って共に生きていることを実感できるのです。
人間嫌いで一人暮らしを貫いていても、犬や猫や鳥を飼って、ペットと共に生きていたり、花や植木の世話に人生をかけている人や、山岳地帯にこもって生活したり、離島で一人住まいをして、ひたすら深海にもぐったりと、自然環境を相棒にして大自然と共に生きている人もあります。
旧約聖書の冒頭「創世記」にある通り、天と地に始まり地球を覆う大自然の全てと、そこに生きる全ての命あるものをお創りになった方、そして最後に自らの似姿として私達人間を創ってくださった方、そう、神様こそが創り主として傍にいてくださるのです。それならば「共に生きる」のはまず神様です。
神様に人生の全てを委ね、共に生きているという実感こそが信仰なのだと思います。日々の祈りを捧げるとき、人との出会いや場所の移動も神様のご計画の内にあり、私は生かされているという信頼が生まれるのです。