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ともに生きる

松尾 太 神父

今日の心の糧イメージ

 8月になると思い出す別れがあります。南半球は寒い季節でした。

 わたしは修道会の養成プログラムのため、オーストラリアで、ベトナム人とフィリピン人の兄弟たちと一緒に生活していました。当番で食事を作り、ともに学び、祈り、お互いの国の食べ物はもちろん様々なことを分かち合いました。時々、思い違いからけんかのようになることもありました。

 仲間のひとりのベトナム人の兄弟は歯に衣着せぬ性格で、その中で一人だけ日本人のわたしをからかって「ジャパニーズ・ガイ」と呼んだり、フィリピンのことをユーモアたっぷりに皮肉って、フィリピン人の兄弟たちが「フィリピンに行ったこともないくせに」と憤慨したりということもありました。それでも、ともに過ごすうちに打ち解けて、お互いの間の壁はいつの間にか低く薄くなっていくのを感じました。

 一緒に過ごし始めてから10カ月ほどたった頃の8月、突然、あのベトナム人の兄弟が、修道生活をやめてベトナムに帰ることになりました。わたしたちにとっては寝耳に水でしたが、悩みぬいた末の決断だったことが彼の様子からよくわかりました。

 数日後、皆でささやかな送別会をしたあと、彼と夜遅くまで語り合いました。そのとき彼は初めて、自分は修道生活にふさわしくないと、いつも感じて辛かったこと、またやりたい仕事があることを打ち明けてくれました。そして、ここで皆と一緒に過ごしたことは忘れないと言いました。お互いに涙が出てきました。別れの寂しさとお互いに理解が足りなかったことへの申し訳なさ、そして一緒に時間を過ごしてくれたことへの感謝の気持ちなどが入り混じった涙でした。その兄弟がいてくれることのありがたさが、ようやくわかった瞬間でした。