夏の五島の海は、マリアンブルー。 それはマリア様の色。
広い海に太陽の光が注ぎ込み、最高に綺麗で透明感と解放感それに安堵感と癒しを頂きつつ、清廉潔白でありたいと思う気持ちが湧き起こります。
慎ましさという言葉は、マリア様そのものを表しているように思います。その生涯は日々の生活の中に自然と溶け込み、陰で支える姿が映し出されています。
特にカナの婚礼での出来事がそれを顕著に表しています。(ヨハネ2・1~12)婚礼に招かれ、ブドウ酒が無い事にいち早く気づいたマリア様は、そっと「ブドウ酒がありません。」とだけ、イエス様に伝えるのです。当時、婚礼でブドウ酒がなくなる事はその家の恥とされていました。それをかばいたかった心と、イエス様なら一番いい方法で何とかして下さると信じ、「なんでもこの人の言う通りにして下さい。」と給仕達に言っています。そして6つの水瓶の水が、質の良いブドウ酒になったのです。
マリア様は決して表に出ることはなさいません。いつも人々の中にいて陰でそっと働かれ、柔軟に相手の困窮を察する心と行動力に溢れています。 語る言葉は少なく、人を思いやる心は強く、慎ましさそのものを表しているかのようです。
寄せては返すさざ波が人の心を撫でながら癒してくれるように、慎ましさもごくごく自然な流れの中で、その役目をしっかり果たしつつ癒していると思うのです。
私も人の必要に合わせて、そっとさりげない奉仕が出来たらどんなにいいでしょう。
分からない事は思い巡らしながら、神様のみ旨のままにと全てを委ねたマリア様に倣い、日々の生活の中で謙虚に慎ましさをもって、困っている人の何かの役に立ちたいと改めて思う日々です。