「慎ましく」は「慎ましい」の副詞です。「慎ましい」とは、辞書をみますと「ある事柄をしたり、ある状態を他に知られたりすることが遠慮される」とあります。その根拠、根源は、なんらかの宗教心にあるように思われます。何事につけ「神仏に手を合わせる謙虚な心」は、尊重されるだけでなく、なんらかの形で言葉や行動に表明されることが望まれます。この心があれば「神仏を前に万人平等である」という理念から、自分本位ではない、他人を慮る寛大な言動が自然発生するように思います。
しかし、しばしば、親切のつもりでやったことが、相手には、迷惑な「おせっかい」となることも「なきにしもあらず」です。この点、相手に対する十分な理解と細やかな心遣いが必要です。「慎ましさ」も忘れてはなりまん。
食前に、ひととき「慎ましく」手を合わせ、食前の祈りを唱え、感謝の念を表わすのは、ごく自然な仕草ですが、これは賞賛すべき誠に美しいマナーであります。出入り口で、人と出くわしたとき、after you 「お先に、どうぞ」と、先を譲るのも、心優しい gentle なマナーでありますいずれも、ちょっと「慎ましく」振る舞うことで、衝突が避けられるのみならず、人間関係やその場の雰囲気をも和ませ、すべてをスムーズに運ぶことを可能にしてくれます。このことを互いに、よく理解し、より良き人間関係のために、この「慎ましく」振る舞う、譲り合い精神を、ぜひとも、発揮したいものであります。
これを端的に言いかえれば「出しゃばリ過ぎない、ひかえめな心」、「お節介でない謙虚な心」が要求されるということであります。