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いつくしみ

松浦 信行 神父

今日の心の糧イメージ

 私は昔、修道会の会員でした。東京の修道院に、あるとき一人の中年の路上生活者の方が訪ねてきました。お金がないのでここで働かせて欲しいというのです。修道士が、その人の面倒を見ることになりました。

 そして、ガレージの奥を貸して欲しいというのです。どうも、寝泊まりのためのようです。「地下室に一部屋あるけどそこではだめ?」と聞き返すと、「贅沢すると、その次が暮らせなくなるから」と彼は答えました。

 それで、ガレージに寝泊まりして、草取りや簡単な作業を任せることになりました。ところが彼は仕事が無くなると急にいなくなり、2ヶ月ぐらい経つとまた戻ってきて、仕事をさせて下さいと頼みに来るのです。どうも、ほかの教会にも寝泊まりしているようです。

 修道士の転勤で、私がその役目を引き継ぎ、私と彼との間に親しい会話が生まれ始めました。ところが、私も転勤を命じられたのです。そのことを彼に告げると寂しそうな顔を見せ、その日から彼の姿が見えなくなりました。

 2ヶ月が経ちましたが、私たちはきっと彼は別宅に行っているのだろうとばかり思っていました。

 ある日、突然警察の方が来られました。私に「この方を知っていますか」といって写真を見せるのです。「ああ、この人でしたら、いつもガレージで泊まっていましたよ」と答えると、「実は、この人は先日、故郷で列車に飛び込み、亡くなりました。本人のメモにここの住所が書かれていましたので、確認するために来たのです」とのこと。あまりのことにわたしは言葉を失いました。

 そのことを思い出すたびに、いつくしむことは、単純に受け容れるだけではなく、将来を見据えた、長く拘わる態度を示すことだと、自戒を込めて自分に言い聞かせています。