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いつくしみ

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 人はそれぞれ悩み、不安を抱えて生きています。そんな折、さりげなく、優しい言葉をかけてくれる親友は、なんといつくしみ深い友達だなあ、と感動します。

 さてイエス様が十字架でなくなる寸前に、おなじく隣で十字架につけられていた犯罪人が、ふとイエス様にむかって「天国に行くときに自分をおもいだしてくれ」とつぶやきます。すると、イエス様が「あなたは今日、私といっしょに天国にいる」と言われる場面です。(参 ルカ23・42~43)このような言葉を面と向かって断言されたこの人は幸せな人だなあ、と羨ましく思いました。

 私は高校生の頃、洗礼をうけましたが、そのころはあまりこの場面には心が向いていませんでした。しかし、50年の人生経験をした今、しみじみとイエス様のやさしさを、この言葉から感じます。

 沢山の本を読み、勉強をすればするほど自分の心が複雑になります。理屈をこねまわし、言い訳をして自分を慰めます。悪知恵が身に付くほどに、人生での色々の困難な場面での絶望感は何故か、一段と強くなりました。知恵が深まるとかえって私の心の乱れ方は深刻となるようです。

 自分の実力を超えた夢、親や先輩の助言を無視した為の惨めな結末、海外での恐ろしい体験のかずかず、今から考えると、あの時、無事に乗り越えた自分は、どう考えても、これは神様の優しい愛の配慮があったんだなあ、としみじみ思います。当時は、自分には困難を乗り越える力があると確信していました。しかし今、冷静に過去を反省していきますと、飛行機事故、暴動、ナホトカに向かう船の海難事故等、どれ一つとして神様のいつくしみなくして乗り超えられたものは一つもありません。あらためて神様のいつくしみについて考え出しています。