▲をクリックすると音声で聞こえます。

いつくしみ

竹内 修一 神父

今日の心の糧イメージ

 「♫愛といつくしみのあるところ、神はそこにおられる」――この曲をご存知の方も、いらっしゃるかと思います。神はどのような方なのか――そのことを、「慈しみ」と「愛」は、端的に表しています。このような神において、私たちは、真の暖かさ、安らぎ、そして慰めを体験します。

 旧約聖書において、「慈しみ」は、しばしば「まこと」と対になって語られます(しかも、この順序で)。「(主は)慈しみとまことに満ちておられる」。この「慈しみ」は、「憐み」(ミセリコルディア)へと受け継がれます。「主は、慈しみ深く、憐れみ深い方、/わたしたちの罪を赦し、/苦難のときに助けてくださる」。(シラ書 2・11)

 この神の慈しみが、端的に表れたものの一つ、それが、「赦し」です。

 

 「神に逆らう者はその道を離れ/悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる」。(イザヤ書 55・7)

 さらに、この「慈しみ」は、具体的な一人の人間として現われました――イエス・キリスト。彼は、十字架上でこう語ります。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」。(ルカ 23・34)

 私たちは、この赦しによって神の子とされ、様々な徳を身に着けます。「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」。(コロサイ 3・12)「愛」は、すべての徳の原点であり、「すべてを完成させるきずなです」。(同 3・14)