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いつくしみ

シスター 山本 ふみり

今日の心の糧イメージ

 6月には、修道院の庭にある泰山木に、親指姫でも入っているかのような白い大きな花が咲きます。別名『み心の花』と呼ばれているようです。その花と芳香が『み心の月』がきたことを教えてくれます。

 主のみ心は慈しみの心のように思います。いつも私達一人一人を心配し助けてくれます。それは、神様が私達一人一人を「良いもの」として創造されたからです。慈しみが相手を思う気持ちだとすれば、私たちの生活の中でも、育ててくれた両親を、兄弟を、亡くなった人など、自分と関わりのある多くの人を思う時、みんなそれは慈しみの心から来るものだと思うのです。

 しかし、私たちは当たり前の生活などないと知りつつも、感謝する心を案外忘れていたりするものです。

 お食事を作ってくれる、お掃除をしてくれる、お弁当を作ってくれる、お年寄りのお世話をしてくれる、そして、一緒に祈ってくれる、それぞれの姉妹に、ありがとうの言葉を心を込めて声に出し、お辞儀をする。

 私はどれだけできているだろうか?と自問自答すると、残念ながら思ったほどは出来ていないのです。私の中に傲りがあり、「してもらって当たり前、当然でしょう」と思ってしまう歪んだ心があるのです。

 にもかかわらず、私達一人一人は神様の慈しみを気づかぬうちに戴いているのだと思うのです。しかも、ありがたい事に一方的にです。しかし、それに気づいている人はどれくらいいるでしょうか?

  

 花の香りは目に見えませんが、存在そのものを気づかせ、教えてくれます。慈しみもそれと似ている様な気がするのです。

 毎日のどんな小さな事にも、ありがとうの言葉と態度が一回でも多くできるように、これを機に努力していこうと『み心の花』にそっと誓いの言葉をかけました。