一日の活動が終わり、祈りのために聖堂に向かいます。まだ誰もいなかったらラッキー。
自分の席に座り、ロザリオの祈りをします。この祈りが終わるころ、ほかのシスターたちも集まってきて沈黙のうちに祈っています。そして、共同の祈りが始まります。この間20分くらいでしょうか、ほとんど何の物音もせず、人の気配さえ感じないこともあります。この時間は、私にとって、最高のなごみの時です。
昼間にいろいろあってもこの時には悲しみ、心配、怒りさえも、私が祈っている神様に一旦すべてお預けします。そうすると客観的に見た状況は何一つ変わらないのですが、私の問題の捉え方が変えられるのを感じます。ほとんどの場合、平和的な考え方に変えられます。
先日、一人のシスターの友人が私たちの修道院にトマトを届けてくださいました。紙袋にはこどもの字で「しすたーへ たべてね」と、ひらがなで書いてありました。それを見たシスターたちは思わず笑顔になっていました。この短いメッセージの向こうに一生懸命この字を書いているお子さんと、それをそばで見守っているお母さんのほほえましい情景が浮かんできたからです。
心のなごみは自分で作り出すことはとても難しいと思います。
使徒聖パウロは、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制は霊の結ぶ実であると言っています。その前に言われているのは、私たちが日常的に経験していることです。それは、「肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができない」ということです。(参 ガラテヤ5・17~23)
祈りによって、あるいは他の人の喜びを分けあって頂くことによって変えられ、心のなごみを得させていただくのだと思います。