私は中部イタリアのアペニン山脈のふもとで生まれました。
小学生の時にはその美しい山々で、様々なことを体験しました。
山の中央部には広大な牧草地が広がっておりました。そこでは色々なキノコやきれいな水仙などの花々が育ちます。
山にはいつもたった一人で出かけていました。友達と一緒に出かけると、せっかく見つけたキノコと花々を分けあわなければならなかったからです。
山々には昔、オオカミが住んでいたことを聞いていました。それでも見つけるキノコと花をすべて自分のものにするために、恐れずに一人で出かけて行ったのです。母親を心配させながら。
歩いて歩いて山の中の牧草地にたどり着くと、私はいつも何とも言えない心の安らぎを覚えていました。そこには何の心配もなく、全身が自然の中に包まれて、いま自分は神様に守ってもらっているのだという自信というか、感覚を持つことができたのです。
心のなごみとは、そうゆう心持ちのことではないでしょうか?
同じ中部イタリアの山々を歩いたアシジの聖フランシスコは、「被造物の賛歌」の中で、次のように唱えています。
「わたしの主よ、あなたこそ賛美されますように、姉妹なる、母なる大地によって、大地はわたしたちを養い、治め、色とりどりの花や草とともに多くの実を実らせます。」(ぺランド・ロッシ著「聖フランシスコとその時代」より抜粋)
私たちは皆、なごみの心が必要です。それを得るために、時には美しい自然の中に身を置いて、神様からのめぐみをじっくりと感じ、忘れなければ、普段の生活を安心して送ることができるでしょう。
愛する神様に、安心してすべてをゆだねる心を、忘れないようにいたしましょう。