「むかし、むかし、ある所にリタという名の修道女がいました」と書き出したいほど、私は聖女リタのことを昔話のようにあちこちに書いたり、しゃべったりしてきた。
めばえという3文字を私の手持ちの辞書で調べると、「幹や枝や種子から若い芽が萌え出ること。物のはじまり、きざし」とある。
聖女リタは中年になってから修道女になった。上長はリタに従順の精神があるかどうか試すために、庭にあるすっかり枯れてしまったみどりの木に毎日、水をやるように命じた。
リタは毎日、毎日、水やりを続け、ついに1年ののちに、枯枝に芽が吹いた。
それはリタの従順と謙遜の証となった。
このぶどうの木は樹齢500年を越えた現在もイタリア、カスシアの修道院に健在とのことである。
心のめばえで次に私が思い出すのは、ルカ伝、5章5節のイエスさまに最初に召された弟子たちの話である。
漁師であったシモンがいっさいを捨てて、イエスさまに従うと決心した時のことである。
ゲネサレト湖の岸辺で説教をされたイエスさまが、話し終えられたあと、シモンに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」とおっしゃった。
シモンは「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答え、その通りにすると、おびただしい魚がかかり、網が裂けそうになるくらいであった。
その奇跡をまのあたりにしたシモンはイエスさまに従うことを決心したのだった。
実際の樹木の芽ばえと共に、シモンのような心のめばえも聖書には多数紹介されている。