ヨハネの福音書の2章に「カナの婚宴」のエピソードが書かれています。3節の「葡萄酒が足りなくなったので、母マリアがイエスに、『葡萄酒がなくなりました。』と言った。」とある。母マリアは、イエスもその弟子たちも招かれ、他にも招待客が多数あったに違いない中、まさにただ一人気づいたのです。
また、このエピソードを敢えて福音書に残したのは、4福音書がある中でヨハネ一人であったということも、ヨハネの気づきであったことが察せられます。
四福音書に書かれている聖母マリアについては「これらの事をすべて心に納めていた。」という記述がほとんどで、聖母マリアのお言葉として聖書に残るのは、ルカによる福音書の受胎告知での天使との会話と、エリザベトを訪問した時のマリアの賛歌だけで、物静かな思慮深い婦人であったことが解ります。
良い気づきはまさに物静かで思慮深い人でなければ体験が難しいのでしょう。
情報にあふれ、四六時中騒がしく多勢の人がせわしなく動き回る現代という時代にあって、周囲に目を注ぎ、弱い立場の人や困難な状況にある人の存在に気づき、その人々に手を差し伸べ、共に歩むという誠の隣人愛を実践する人が少なくなった気がします。
季節の変わり目での自然環境の変化への気づき、旅先での土地柄の違いに対する気づき、自分自身の健康状態への反省と気づき、グループに参加し仲間と活動を共にするときの人間関係の気づき、さまざまな種類の気づきがあります。
心を落ち着けて五感を鋭く働かせるなら、いつも新鮮で素直な精神を持ち続けることが出来るでしょう。気づきとは感動の入り口です。
聖母マリア様の取次ぎにより、沢山の気づきの体験をと祈りましょう。