日々の生活の中で、職務上「気づき」がいかに大切かを感じています。特に看護を必要とされている方々と、そのお世話をしてくださる方々の架け橋がお互いの「気づき」にあるのではないか?と思います。
わたしは看護師をしていますので、この「気づき」のアンテナがどれだけ大切かを、日々身を持って感じています。目の前の患者さんに今、何をすれば役にたてるのか?という、この最初の気づきから、すでに看護が始まっていると言っても過言ではありません。一人一人の患者さんができることや心の思いも違います。必要な時に必要なだけ援助できるのがベストなのですが、やりすぎてしまったり、足りなかったり、タイミングも合わなかったりします。看護も介護もいつも満点とはいかないものです。それでも、毎日看護と介護は続き、患者さんの心まで気づかないことが多いようにも思われます。心のケアまで行き届きたいのですが、なかなか辿り着けません。
主は言われます「何事も、人から自分にしてもらいたいと望むことを、人にもしてあげなさい。」(ルカ6・31)その人の身になってその人がしてもらいたいと望むことを、そしてその心を探すのです。そうでなければ、その患者様の思いに辿り着けないのです。頭ではよく理解しているつもりなのですが、現場ではそうはいきません。次から次にいろんなことが飛び込んできます。それでも出来るだけ患者さんの思いに近づこうとする努力の日々です。失敗してもいい、その努力を神さまは見ているのだと自分に言い聞かせながら奮起奮闘するのです。
「気づき」のアンテナは、人を思う愛の行為、見えない愛の形、愛の始まりなのかもしれませんね。