上智大学に入学したとき、学長が私と直々に面談してくださいました。そのときの一言は、忘れられません。
「あなたはハンディキャップがあるから、ほかの人と同じようにできないこともあります。でも、同じようにすることではなく、フランス文学を勉強することが目的です。だから、胸を張ってあなたにできるやり方で学んでいきましょう」
まるで、何か想像もできないような力で私の周りにあった靄が取り去られたような気がしました。点字と音読で勉強する私にとって、スライド学習や書き取りテストなど、クラスメイトと同じ方法ではできないカリキュラムがいくつもありました。
しかし先生方は、そのたびに私にできる方法を考えてくださったのです。
何よりもありがたかったのは、先生方自らが、私のテスト方法や学習方法について、クラスメイトたちに説明してくださったことです。
「彼女は手書きができないからワープロで書き取りをします。隣に座った人は変換モードを確認してあげてください」「スライドの画面を説明してあげて」「板書を読んであげて」
中には、これは特別扱いではないかという学生もいました。そんなとき、先生方ははっきりと言ってくださいました。
「君が教授だったら、目の見えない彼女に手書きをしろといえますか」
やがてクラス全体が私の学習方法を理解し、助けてくれるようになりました。
このことをきっかけに、私は大学で、自分の可能性の開き方を学んだと思います。
気付きにはさまざまな種類がありますが、最大かつ不可欠な気付きは可能性の存在を意識することではないでしょうか。それに気付けば、いつか道は開けると、私はいまも信じています。