現在私は、神学院という将来カトリック神父をめざして研鑽している、7年制の学校に勤めています。1年のうちの8ヶ月間、20代から50代の男子学生が30人ほどで寮生活をしています。
コロナ・ウイルスの緊急事態宣言の時も、しっかりウイルス対策をしながら、平常通りに授業や生活、祈りなど、続けることが出来ました。幸いにも敷地に緑が多いので、学生たちは閉塞感を感じることなく、淡々と過ごしていました。
そのような中、一つの流れが生まれました。
神学院の食堂はビュッフェスタイルで、食べ物を自由に取り、好きな席に着くのですが、四人掛けのテーブルにきちんと座ると、一人だけ取り残されるときがあるのです。
あるとき、私が最後に食べ物をとって、誰もいないテーブルに着いたとき、別のテーブルで食べていた学生が見逃さずに、食べ物の載ったトレイを持って私の隣に座ったのです。
「おっ、ありがとう」と学生にお礼を言うと、学生は気恥ずかしさからか、「今日はいい天気ですね」と話をそらしていました。
そのようなことがあって、今度は私の番だと思いました。最後の学生が一人で座るのではないかと、見回すようになったのです。そして、一人で食事をしている学生がいると、トレイを持ちながら移動するのです。そして今では、ほとんどの学生が、食事の時に一人で食べている学生がいると、気楽に移動しています。
それまで四人掛けのテーブルに窮屈に座っていたのですが、コロナで密を避ける意味もあって、自然に移動するようにもなったのです。
一人の学生が始めた思いやりの行動が連鎖していくことを、はからずもコロナが教えてくれました。
それは、別のテーブルに飛び込む小さな勇気でした。