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思いやり

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 SNS上では沢山の人が非常に身勝手なことに、よく知らないままに、他人を誹謗、中傷するのだそうです。ターゲットにされた人は、深く傷つき、また絶望に閉ざされることも多いということです。

 他方、医療従事者の皆さんの言い尽くせないほどの労苦をはじめ、災害等の被害者、精神的弱者、病人その他、あらゆる社会のひずみに苦しむ不幸な人に対して、同情や援助を忘れない人々もいます。そのために自分の生涯の全てを捧げつくす人さえもいます。

 マザー・テレサの修道会がこの面で特に知られています。

 ところで、それほど劇的とは言えない日常の生活の中でも、この思いやりというものは、様々な局面で働くようです。

 つい先日も息子が私達夫婦にこう言いました。「Kおばちゃんね、僕のCDを何枚も買ってくれててね、とても有難いんだけど、その上に今度、妻のCDまで注文してくれてるんだよ」と言ったあと、「おばちゃん、大丈夫なのかな」と付け加えたのです。

 古い友人である私達夫婦は、Kさんの心にある悩みをずっと前から知っていたのですが、息子もいつの間にか彼女と文通を始めていたのです。もちろん彼女はそんなことを詳しく息子に語ったりはしないのですが、それでも、行間から立ち上る気配を、息子は敏感に察知して、彼女の身を気遣っていたようなのです。

 私達キリスト者は確かに、他の人の不幸、様々な不運にある人のために祈ります。しかし、聖書にある、当時ユダヤ人から軽蔑されていたのに傷ついたユダヤ人を介抱したサマリア人のたとえ話の結びのように、「行ってあなたも同じようにしなさい」(ルカ10・37)と主にずばりと言われたら、私は主に向かってどんな風に顔をあげられるでしょうか。