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思いやり

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 就職活動では、「私は思いやりがあり、気配りのできる性格です」というアピールは必要なことなのだという。ただ企業の側では、あくまでも仕事の成果につながる人間関係の能力を求めているので、ただの「いい人」「親切な人」では評価されないそうだ。

 「思いやり」が世渡りのキーワードになってしまうと、本当の思いやる心が見えづらくなってしまうような気がする。或る時、こんな話を聞いた。

 或る人が職を失い、不運が重なって、満足に食事もできない状況に陥ってしまった。仕事が見つかる前に、飢えて死んでしまうと思っていた時、友人の一人が彼の窮状に気づき、夕食に招いてくれた。みじめで恥ずかしいが有り難い。友人の家に行こうとしていると、友人はたっぷりの牛肉を買って来た。そして「これを君からの手土産だと言って、妻に渡してくれ」と彼に持たせたのである。おかげで彼は、施しを受けに来た人としてではなく、良いお客として歓迎され、友人の家族皆と仲良くすき焼きを食べることができた。彼は後になってから、よほど苦労してきた人でなければ、こんな思いやりはかけられないはずだと気づき、友人を思って胸が一杯に なったそうである。

 人生の経験が浅いと、困難を抱えた人のつらさが分からないことがある。すき焼きを振る舞いながら、お説教や自慢話をして得々とする人さえ、世間には珍しくない。だが他人のつらさを理解し、さりげなく、生きるのを助けてくれる人も確かにいるのである。昏い苦しみの沼を渡って来た人たちなのだと思う。思いやりという美しい花を、汚れた沼の泥から咲かせた人たちなのだと思う。