生きていればどこかで、かけがえのない出逢いが待っており、人と人を結ぶ縁の糸は日々を織り成し、生きる味わいになってゆく――。
40代を迎えて、私にはその実感が増しています。
熟達の講談師Kさんとは、親子ほどの年齢差がありながら、詩人の私にとっては学ぶことが多く、深く響き合うものがあります。以前、私たち夫婦が息子のダウン症告知の経験からいかに立ち上がり、共に歩んできたかを記した詩集『我が家に天使がやってきた』をKさんにお贈りしたところ、後日お逢いした際、「胸にじーん...と熱いものがこみ上げました」と話してくださり、私はとても励まされました。
最近も東京・上野でKさんの講談を拝聴し、打ち上げの席でゆっくり語らいました。私は「講談を聴くと、遠い昔にも義理人情のある人は確かにいて、物語の場面が思い浮かびます」と伝えました。
すると、Kさんは涙ぐむような表情で、「そのように講談を聴いていただいて本当に嬉しい。私はね、何十年も講談をやっていて思うのだけれども、柔軟な心で〈人を認める〉って、大事なことだと知ったのですよ。人それぞれに自分の考えを信じて、懸命に生きている。だから、その人を否定するよりも、耳を傾ける度量のある者に私はなりたい、というのが講談を通じて学んだことなのです」と仰いました。
なぜそのような会話になったのか分かりませんが、実は最近、私は心の中で〈人をゆるすことの難しさ〉を感じていました。Kさんの温かなまなざしと、人情味のある語りにふれたことは、私の固い心をふっと溶かしてくれました。「その人自身を思いやることの大切さ」を知り、今まで難しいと思っていた〝ゆるしの心〟が芽生えたのでした。