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思いやり

村田 佳代子

今日の心の糧イメージ

 普段何気なく使っている「思いやり」という言葉、同情することと意味はほとんど同じなのですが、ニュアンスが異なります。思いやりには他人の立場や気持ちをその人になったつもりで想像するという心の動きが感じられます。

 思いやりのつもりがおせっかいになってはいけません。

 思いやりは自然な行動や言葉で表現されるものであり、相手が後になって「あっ、あの時は・・」と気が付いて心が温かくなるようなものでありたいものです。普段から身近な人々に愛情を持って接し、性格や嗜好をよく理解していれば、その人が窮地に陥った時、すぐに自然に援助の手を差し伸べることが出来るはずです。

 思えばこの30年余りで隣人との接し方が様変わりしてしまったと思うのです。

 まずポケベルの出現、そして、携帯電話の登場で、人同士顔を合わせなくてもいつでもどこでも連絡がとれるようになりました。ましてスマホが普及した今では、画面を通しての交流が主流で、絵文字やマークで感情を伝えることに慣れてしまいました。

 しっかり相手と対峙し心を込めて言葉を選びじっくり時間をかけて対話するという機会がとても少なくなったと感じます。

 便利さが最重要で、忙しすぎて自分本位になってしまっている現代人は、勝手な思い込みでおせっかいな言動はあっても、本当の思いやりを忘れてしまったようです。

 聖書の3福音書に記述がある通り、最も重要な掟はと問われた時、キリストは「心を尽くし精神を尽くし思いを尽くし力を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。」(マタイ22・37)第2の掟は「隣人を自分のように愛しなさい」(同22・39)この二つに勝る掟はほかにないといわれました。まさに思いやりの心を持つ生き方の事です。