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約束

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 私の勉強机から目を上げると、額縁に入った一枚の色紙が掲げてあります。味がある、と私は思っているのですが、妻は下手だと言っています。見方は分かれても、踊るようなその躍動感は、今見ても確かに喜びを伝えている・・ようです。

 この色紙は、44年前の晩秋、「王であるキリスト」の祝日に挙げた私たちの結婚式の中で、「順境にあっても逆境にあっても生涯互いに愛と忠実を尽くすことを」誓った言葉なのです。

 ところで、この誓いは、私たち夫婦相互の心に深く根を張った樹木のように、そうやすやすとはぐらつかないようでありたいものです。これは、神と友人たちの前で公に誓った約束でもあり、これがぐらつくようなら、夫婦は互いにどれだけ苦しむか知れません。

 今に始まったことではないと思いますが、約束を守るという事を、大事なこととして普段から心にかける普通の子供に育てるのには、やはり親の、忍耐を伴った教育が必要ですが、親ははたしてその時間をさいているか・・。

 契約を破るといえば、もっと社会的な感じが強くなり、犯罪を犯す気でもなければこれを破るのは難しいかも知れません。しかし、これも元は、どうして約束は守らなくてはいけないのか、親と子供の間で、納得が行くまでふれあう中で体得されるものでしょう。

 成田離婚などという言葉も古くなった感がありますし、ごく最近では母親が3歳児を残して8日間も遊びに行ってしまい、子供を餓死させてしまいました。

 こういう極端な事ではない小さな面でも、私たちは約束した内容に忠実であるように、それを思い起こす必要があると思うのです。というのも、その大元である神は、約束をふいにされるような方ではないからです。