わたしは東北の小さな市にある商店で生まれ育ちました。主に書籍や雑誌、文房具などを扱っていた店です。兄弟が大勢いて、末っ子でしたが、学校から帰ってくると、店の手伝いをさせられたものです。本を読んでいると、遊んでいるんじゃないと言って、親父によく叱られたものです。その親父は、わたしが10歳の時、小学校4年生のときに病に倒れ亡くなりました。
その親父が子どものわたしによく、「商人には信用が第一だよ。それには約束を守ることだ」とたびたび言いきかせました。そのせいか、金銭のやり取りや時間のことなどはもとより、今まで約束をしたことで、それを破ったことがありません。守れない約束なら、最初からしないのです。こうして人々の信用を得ていましたから、たとえ手許に現金がなくても、お金に困ったことがありません。
人が信用してくれているからだと思います。言葉でさえ言えば、守ってくれる人だと思われていたからではないでしょうか。
一例をあげましょう。
戦後、わたしは兄の出版社の東京出張所長として神田の淡路町で雑誌の編集や書籍の出版などをしていました。月末になると紙屋や印刷所などに支払いがあります。そのための資金が手元に十分にあるわけではないので、どうしても銀行から融資を受けます。
あるとき、取引銀行の支店長が、融資をお願いに行ったわたしに抵当なしでお金を貸してくれました。後からその銀行の行員から聞いたことですが、支店長に「抵当は?」と確認した時に、支店長は、越前さんはクリスチャンで約束を必ず守るから、いいんだよと、答えたそうです。