1993年9月、新宿文化センターホールで新作オペラ「転び申さず候」が上演されました。
オペラは、17世紀、国東半島出身の殉教者「ペトロカスイ岐部」の物語で、当日私は原作者のチースリク神父様からご招待頂き、会場に向かいました。
舞台では合唱が印象的で、群衆に成ったり打ち寄せる波に成ったり、マスゲームのように態勢を変化させて、世界を渡り歩いた彼の大胆な運命を伝える役割を果たしていました。私は原作を読ませて頂いたばかりで、大いに感動し、終演後神父様にお礼を申し上げると「わたしはこのペトロ岐部こそ最高の殉教者と思っている。いつか必ず描くと約束してほしい」とおっしゃるではありませんか。びっくりして確かなお返事も出来ないまま帰宅しました。
以前「史実に合った日本二十六聖人の殉教画が無い。西坂の丘は始めに決められていた処刑場ではないし、彼らは着の身着のままで十字架についた。詰めかけた人々は祈りながら見守った。是非正しい情景を描いて」と仰られ、現地取材し、季節と時間にこだわり完成させました。
以来各地の殉教の歴史画を制作しています。でもこの時の私は1997年の二十六聖人殉教400年を前にして、京都から長崎までの道行きを制作するプランで頭が一杯でした。
時が過ぎ神父様は入院され、お見舞いに伺うと「ペトロ岐部を忘れるな、楽しみにしている」とおっしゃるので、思わず「必ず」とお約束しました。数日後神父様は帰天なさり、生前に約束を果たせなかった事を心から悔やみました。
2003年に「ペトロ岐部の生涯」26連作を発表すると、神父様のお望み通り、作品は縁の地、大分県立先哲史料館に収蔵され、度々活用されています。