聖書には、神様のたくさんの約束が記されています。その中でも、一番大切な約束の一つは、創世記冒頭の出来事、神がこの世界のすべてを創られ、すべてをご覧になって、「極めて良し」とされたことだと、私は思います。創世記の創造物語は、誰かが観察して記した、科学的な話ではありません。後の人々が神への深い信仰によって綴ったものです。ですから、「極めて良し」とされたこの言葉は神の約束ということではないかもしれませんが、人々の全能の神への変わることのない賛美、信仰の言葉であり、それは神の働きによって得た確信だと思うのです。
今年、私たちは、新型の感染症に悩まされ、社会生活や日常の生活様式を変えることを余儀なくされ、また、ここ近年続く甚大な自然災害で、大きな喪失体験を経験し、今も多くの人々が苦しんでおられます。
個人的にも、不条理な出来事やつらい体験等により、人生の意味を見出せないこともあります。このような厳しい現実の中で「極めて良し」とされた神ご自身がどこにおられるのか、あるいはそのような世界がどこに実現するのかという大きな疑問が、時折私たちの頭をもたげてきます。
しかし、創世記の創造物語は、創造主である神は、混沌とした闇に光を、秩序のなかった世界に秩序を与えられる方であり、創られた世界と私たち人間は、「極めて良く」、しかも人間は、「神に似せられた存在」だと示します。それは、今の現実の世界がどんなに悲惨であっても、神は光を約束し、一人ひとりの存在を尊ばれるという力強いメッセージなのです。そして、人間と共に創られた世界が、神が「良し」とされた秩序を取り戻すように諭しているのです。