私は小さいころから、割合はっきりと自分が目指す道を知っていた気がします。一つはピアノ、もう一つは語学でした。
ピアノを続けるという気持ちはいつも変わりませんでしたが、専門の仕事としては自然に語学、と決めていたようです。中学のときから翻訳を希望し、幸運にも翻訳の仕事を得たのでした。その後、やはり夢だったエッセイストの仕事もできるようになったのですが、さて、ピアノはどうなったでしょうか。
不思議なことに、これもまた、一つの仕事として続いています。収入を得るためではなく、エッセイストとして表現するときに使う「もう一つの言葉」として演奏するのです。
私自身が意識的に目指したのは語学で身を立てる道でしたが、追求して楽しむことだけを続けてきたピアノもまた、気付いてみれば、語学の道に平行して進歩を目指す道となっていました。
けれど実は、私自身、本当に翻訳の仕事を希望通りできるとはあまり期待していませんでした。あまりにも狭き門だったからです。それよりも現実的なのは英語の先生、ということで、大学では英語とフランス語の教職員免許を取って、就職の準備もしていました。目指した道は「語学」でしたが、その道のあり方は私にも予想できなかったのです。ましてや、ピアノやエッセイがそこに加わるとはさらに予想外でした。
このことを思うとき、私は神様の導きを意識せずにはいられません。予想外なのになぜか夢が叶っている。それも、諦めて受け入れるのではなく「こんなのもありだったのか」と思わせる形で。
これからも、神様のサプライズは続くでしょう。でも夢は叶う方向でと信じています。
で、いま目指している道は何かって? それはまだ、ひ・み・つ。
大きくなったら何になりたいですか。毎月行われる幼稚園の誕生会で、その月に誕生日を迎える子供たちへの質問のひとコマ。アニメのヒーローになりたい子、ケーキ屋さん、消防士、お花屋さん、サッカー選手など、実に様々な夢を持っていて、いつも微笑ましく思います。
大きくなった今の私たちはどうでしょう。今歩んでいる道は、目指していた道でしょうか。それとも違う道でしょうか。人生いろいろ、十人十色、人によって様々だろうと思います。
私は今、修道司祭として歩んでいますが、修道院に入る日の前日、教会のミサに行って、お世話になった方にご挨拶していた時、一人の方から励ましのお言葉をいただきました。「古川さん、初心が大事ですよ、初心が...。」今も私の心に残っています。
私たちが新たな道に進んでゆく時に、私たちが相手を知り、相手も私たちを知るために、面接、お見合いなど、お互いに会って、互いを知り、互いの心を知った上で、受け入れ合って道を歩んでいきますね。最初の心はとても大切なものがあります。
私たちの今の道、独身の道、夫婦生活の道、社会人としての道、習い事やスポーツでの道、実に沢山の道がありますが、どの様な心を持って歩み出したでしょうか、そして今どの様な心で歩んでいるのでしょうか。
自分の道を歩み始めた頃、人のために役立ちたい、幸せな家庭を築きたいなど、清らかな純粋な心で歩み始めたけれど、今の自分を振り返ってそうでないとすれば、立ち止まって、その大切な心を思い出し、心新たにして新たな歩みを始めることは大事なことですね。
私たちの歩みが、人を活かし、また自分を活かす歩みであります様に。私たちの歩む道を神様が導いて下さいます様に。