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言葉の力

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 誰かの一言が、心に深く沁み込んで、一生を支える力となる。そんなことが、これまでに何度かあった。一番、古い記憶は幼稚園のときのことだ。

 理由はよく覚えていないが、幼稚園の頃、何か悪いことをして教室の外に出されてしまうことがときどきあった。その日も、教室の外に出されて泣いていたのではないかと思う。たまたま通りかかった園長先生がわたしを目に留め、話しかけてくれた。幼稚園の運営母体になっている神社の神主でもある、白髪の園長先生だ。「どうしたんだい。きみは、この前、とてもすばらしい工作をつくっていたじゃないか」。その一言に、わたしはとても驚いた。園長先生が、自分のことを覚えていて、褒めてくれたのだ。「どんなときでも、ちゃんと見ていてくれる人がいる」、園長先生の一言から、わたしはそのことを学んだ。

 小学生のときにも、忘れられない一言がある。4年生くらいの頃だったと思うが、あるとき先生が理科の時間に質問した。「注射器の先を塞いで、ピストンを押したらどうなる?」他の子たちが答えに窮する中で、わたしは何気なく「それは、ピストンが押し戻される」と答えた。すると先生はうれしそうに、「そう、正解だよ。きみは天才だ」と言ってくれた。勉強にかけて一度も褒められたことがなかったわたしは、その一言に大いに励まされた。「ぼくだって、やればできる」と思ったのだ。

 今から思えば、先生たちは、何をやってもぱっとしないわたしに自信を持たせようとして、あのような言葉をかけてくれたのかもしれない。だが、そんな先生たちの一言は、わたしに生きる力を与えてくれた。言葉に力があるとすれば、それは、言葉に込められた愛の力であるに違いない。