言葉の力

松村 信也 神父

今日の心の糧イメージ

 司祭も一般の方と同様年度変わりには、人事異動がある。通常五年から七年同じ場所で働いた後、異動を宣告されれば、当然の事として受け入れる。しかし、何故か齢とともに、異動するのがだんだん億劫になってくる。その理由は、親しくなった人との別離の寂しさか、また新たな場所で再出発する煩わしさか、若い時は殆ど感じなかった。むしろ「新たな場所・新たな人との出会いに胸を膨らませた」。これが年老いた印なのかもしれない。

 私の場合、年度途中のある日突然やってきた。異動宣告が年度の終盤なら覚悟した。しかし、年度途中に異動を宣告された。戸惑い、疑心暗鬼が膨らんだ。「何か悪いことをしたのか」「何故はっきり言ってくれないのか」そんな感情が先走った。目上からは一言「何もない。次年度異動してくれ」。只、それだけだった。

 突然の異動宣告。正直、苦しんだ、悩んだ、仕事も身が入らなくなった。「せめてやり始めた企画を軌道に乗せたかった」。目上の言葉に当然、憤りを感じ、理不尽な要求として、受け入れることは出来なかった。そこですぐに黙想(識別)をとることにした。必死に祈った。でも堂々巡りの連日だった。「識別できない!」もう諦めようと思った最終日、教皇フランシスコの言葉が目に飛び込んだ。『あなたにとって居心地のよくなった場所、そこはもうあなたにとってのミッションの場ではない。』

 悔しいけど「なるほど!その通りだ」と受留めたが、苦しみは変わらない。しかし、私は司祭に選ばれた一人であることを、彼のこの言葉で再認識することになった。司祭であればこそ自ら日々回心することの責務があることを。

言葉の力

シスター 山本 久美子

今日の心の糧イメージ

 「心のともしび」の執筆を始めて、早いもので6年になります。当初は、皆様に読んでいただくような文章を書く自信もなく、こんなに長く続けられるとは夢にも思っていませんでした。しかし、「書く」ことで、過去をふり返り、今の自分自身を見つめることにつながっています。いろいろな経験や思いを自分の言葉で表現することによって、与えられている多くの恵みに気付き、日々の出来事や体験を受け取り直し、散らかった心を整理する機会をいただいていると感じてきました。今では、言葉にすることは不思議な力があると実感しています。

 ある時は、自分でも不思議なくらい、内から溢れ出るように言葉が出て来ることがあります。これは、自然に神様に向き合う時間になり、祈りになっていることに驚かされます。

 心のともしびのリスナーの方々や読者の方々を思い浮かべることは、漠然としていて難しいですが、時折、機関紙を読んだり、ラジオを聞いたりして、私を思い出してくださり、感想を聞かせてくださる方々とのつながりを感じる機会にもなっています。「書くこと」自体は、個人作業のようでも、それを「分かち合う」ことで、人々とつながり、自分の世界も広がりを持ち、何等かの響き合いになっていると感じています。

 主イエス・キリストは、神から遣わされ、私たちと同じ人となり、人間の言葉で私たちに語られます。イエスのみ言葉を味わう時、その度に新しい気付きがあり、「み言葉は生きている」と感動します。もちろん、一介の人間にすぎない自分の言葉ですが、自分の体験や真心からの言葉は他人の心にも届くという実感をいただいています。


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