言葉がもつ力は大きい。小学校1年生の時、私は学校が楽しくてたまらず、帰ってくるとすぐにランドセルから教科書やノートを取り出し、時間割を見ながら次の日の授業の用意をした。たまたま父が家にいた日で、私の様子を見てほめてくれた。「ともえちゃんは偉いね、もう明日の準備をしているの?とてもいいね」と言ってくれたのだ。私は嬉しくてたまらず、毎日続けた。なんとそれは今も続いている。
わずか一つの褒め言葉が一生涯私によい習慣を与えてくれた。また、父は、私が学校であったことや友人の話をすると「とても面白いからそれを書きなさい、そのまま書きなさい」としょっちゅう勧めた。机の上には原稿用紙をどっさり置き、いつでも書き出せるようにしてくれた。私は書くことが好きで、書くと自由な気持ちになれた。
8歳の時、小さな手帳に詩を書きためていたことがある。表紙にはたどたどしい文字で「詩集」と書いてある。私は自分が書くものはとてもよいものだと信じていた。これは立派な詩集なのだと自負していた。これも父が幼い私を認めてくれたことが軸となっている。大人が子どものよい面を心の底から喜び、ほめる。その言葉は子供の人生に忘れられない大きな喜びを与え、その人を生涯育てていくのだと思う。
神さまも天地万物を造られた時に言葉を発している。「光あれ」と言われると光ができた、と聖書にある。(創世記1・3)光はよいものだ。神の言葉によって造られたものはすべてよい。神さまが、人間にご自分と同じように言葉を与えたのは、人の心を喜びへと向かわせることに使うためだろう。それを忘れずに否定的な言葉を退け、大切に使いたい。