聖書には、イエスは馬小屋で生まれ、飼い葉桶の中に寝かされたと書いてあります。まともな宿も、出産を手伝ってくれる人もなく母マリアと父ヨセフが二人で出産を切り抜けたわけです。
たしかに、これは大変な状況です。でも、この話を初めて聖書本文で読んだ中学時代、私は、イエスは幸せな子どもだと思いました日曜学校の先生は、その環境がどんなに貧しく厳しかったかを語っておられましたが、それでも、イエスは両親に望まれて生まれ、愛され、護られて寝かされたのだから、環境の貧しさに関係なく幸せな赤ちゃんではないかと思ったのです。
私が幼少期を過ごした盲学校には、子どもの障害を理由に夫に離婚されたシングルマザーに育てられている子が何人もいました。裕福な家で育っていても、重複のハンディを抱え、いつも母親に「この子がいるから」とぼやかれながら通学している子もいました。私は子供心に、本人のせいではないハンディのために親が離れていったり、愛してもらえなかったりという悲しい現実を目の当たりにしていたのです。それだけに、子ども時代からいまに至るまで、私は両親にありったけの愛情を注ぎまくって育ててもらえたことの喜びと感謝を限りなく感じているのです。
イエスは、救い主になる特殊な運命を背負って生まれたとしても両親に愛されているという点では幸せな子どもでした。そして、両親の愛によって、人類の救いというミッションにも対応できる力を養うことができた面があると思います。
幼子を愛せたら、それは最高レベルの愛になります。その愛は大人に対しても適用できるでしょう。クリスマスは、幼子イエスの姿から愛の根本を思い出す機会になるかもしれません。