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幼子誕生

湯川 千恵子

今日の心の糧イメージ

 医師に懐妊を告げられて、私はすぐ公衆電話から職場の夫に報告した。病弱で結婚しても子どもが持てる自信がなかったので、うれしさの余り一刻も早く知らせたかったのだ。

 その後、悪阻で苦しんだが、赤ちゃんの胎動をなでさすりながら、産着やおむつを準備した。月満ちて陣痛が始まり入院したが、陣通微弱で病院の階段を歩かされたりした。そんな訳で、再度陣痛が始まった時、私はその陣痛が激しくなるのをむしろ喜んで頑張った。無事に女児を出産し、産着に包まれた赤子を抱いた。小さい命の重みと暖かさ、髪もふさふさして何と可愛い私の赤ちゃん!私の胎内でよくこんなに育ったことよ・・・と、畏怖と感謝の念がこみ上げてきた。夫も抱いて「いい子だ。いい子だ」と喜んだ。

 こうして市営アパートで子育ての新生活が始まった、お七夜に義父が命名書を書いて義母が壁に貼り、一緒に祝った。百日目の「お食い初め」で離乳食を始め、「這えば立て、立てば歩めの親心」そのままに、我が子の成長ぶりに目を見張って喜び、生きる力となった。

 2年後、私は第2子を出産した。3・9キロの男児で出産後に大出血し、私は輸血で危うく助かった。それで子どもは2人で諦めていた。

 ところがカトリックの洗礼を受けて、いのちの源である神の存在を知り、安心して子どもを願うと、次男、三男が安産で与えられた。育児に没頭した日々は「自分育て」でもあった。

 聖母マリアも旅先で出産し、み子を布に包んで飼い葉桶に寝かせた・・・と聖書にある。聖ヨセフと聖マリア、み子イエスの聖家族の日常はどんなだっただろう?貧しくとも互いを大切にして謙虚に祈る愛に満ちた暮らしぶりを想像し、真の幸せの模範として、今も多々教えられている。