私の生まれ育った五島ではイエズスさまのことを御子さまと呼んでいた。
御子さまと書くだけで、私の心はなつかしさでいっぱいになる。
幼少の頃、クリスマスの前になると、古ぼけた木造の教会の片隅に、御子さま誕生のシーンが、馬小屋と共に再現された。
マリアさま、ヨゼフさま、御子さまがそれぞれ美しく、何度見ても見飽きるということはなかった。
学校から帰り、ランドセルを置くと、一目散に走って御子さまに会いに行った。
その手には5円玉をしっかり握って・・・。
その頃の私の一日の小遣いは5円。
紙芝居は10円なので二日に一回見ることができたが、紙芝居どころではなく、5円は馬小屋の前の献金箱に入れるのが楽しみであった。弟も私にならって5円を毎日献金した。
御子さまが誕生するにあたり、マリアさまの謙遜の心を黙想してみた。
ある日、突然、天使があらわれて、神の子をみごもりなさいといわれた。
その時、マリアさまが「とんでもございません。わたしごときが神のお母さんになるなんて・・・。お断りさせてください」と拒否したとしたら、御子さまは誕生しなかった。
しかし、マリアさまは間髪を入れずに「仰せのごとく我になれかし」と答えられたのだった。まったき謙遜の心で受け入れたのであった。
そしてヨゼフさまも寛容の心をもって受け入れた。最初は疑心暗鬼であったヨゼフさまにも天使があらわれ、事のいきさつを説明したのだった。
御子さまはマリアさまの謙遜とヨゼフさまの寛容と、全身全霊をもって神さまを信じたおふたりの結晶として誕生された。