いつも生き生きと

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 いつも生き生きとするには、毎日、心から笑うことだと思う。わたしのまわりは、子どもの頃からいつも笑いにつつまれている。

 ある日、母は安い自転車を買ってきた。その自転車に乗り、買い物に行った帰りに自転車が盗まれた。盗難届を警察に出したところ、次の日、堀立川の橋のたもとに投げ捨ててあり、すぐに見つかった。

 父は戻ってきた自転車を、怪しく思ったらしい。父が乗ると自転車のハンドル部分が小刻みに震え、まっすぐ行こうにも、右よりに進んでしまうのだ。父は「これじゃあ、南駅に行こうとしたら、西駅に着いてしまうな」と言って自転車を物置に運んだ。すぐに父は母の自転車を買いに行き、母は安全な自転車に乗ることになった。

 この話を教会の青年会で話すと、「南駅に行こうとしたら、あれっとハンドルが西へ」と言ったとたんに皆の笑いのツボに入り、ロザリオの最中、誰かが噴き出して大笑いになり、涙を流しながらのロザリオになり、マリアさまもさぞ驚かれたと思われる。

 また、実家の廊下は直角になっていて、直角のところに弟の部屋がある。北側に窓があり、東はふすま、南は障子、西は障子と白壁で、夏は障子を開け放っている。弟は几帳面なので、いつも整理整頓が行き届いていて、清々しい部屋だった。しかし、祖母は廊下を歩いて突き当たりにいく時に、直角に歩いていけばいいのだが、弟の部屋を斜めに横切るらしい。「ばあちゃん、廊下を直角に歩いてくれ」という弟のムッとした声がする。祖母と弟のやりとりを聞いていると、笑ってしまう。しかし、弟は祖母が通れないように物を置いたりはしなかった。

 生き生きとするには、いやなことでも笑いに変えることかもしれない。

いつも生き生きと

三宮 麻由子

今日の心の糧イメージ

  あるとき、仕事で動物園の取材に行きました。楽しみではありましたが、複雑な気持ちもありました。私はどこかで、飼われている動物たちを可愛そうだと思っていたのです。特に、小鳥を飼ったとき、どんなに可愛がっても、我が家としては最大限の遊びスペースを用意しても、結局彼らの自由を奪っていることを突きつけられて以来、その気持ちは強くなりました。彼らと仲良くなればなるほど、彼らを自由にしてあげたいと思ったのでした。

 しかし、取材という目で飼育下の動物たちを観察しているうちに、こうした思いがいかに「人間目線」だったかを痛感したのです。

 ライオンたちは、午後のひとときを外で過ごす短い間にも、しっかり縄張りを主張し、生々しいお話ですが「繁殖活動」もしていました。フラミンゴたちは賑やかにおしゃべりしていましたが、餌の時間になると一斉に飼育員に集中し、この「相手」に向かってコミュニケーションをとり始めます。サル舎では美しい声のテナガザルたちが数キロ先まで聞こえるコンタクトコールで歌を交わし、狼たちはいつでも草原に戻れそうな立派な遠吠えを奏でていました。彼らは安全な環境を享受し、生き生きと命を輝かせていたのです。

 そして、私は思い出したのです。自由を愛した我が家の飼い鳥たちも、同じように輝いていました。籠にいるときも、彼らは私たちを愛してくれました。放し飼いから自分で籠に戻り、囀ってくれました。彼らの命は、どんな環境でも最高に輝いていたのです。

 生き生きと時を過ごすなら、輝きは永遠に私たち自身の中にある。取材を終えたとき、私はこのことを地球の仲間に教えてもらっていたのだと、ようやく気付くことができたのでした。


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