いつも生き生きと

岡野 絵里子

今日の心の糧イメージ

 L・Mモンゴメリの「赤毛のアン」シリーズはよく知られているが、その中には、アンが登場しなくても魅力的なものも少なくない。「ロイド老嬢」もその一篇で、孤独だった魂が、愛することを知って幸福に満たされる物語だ。

 主人公のミス・ロイドは、財産を失ってすっかり貧しくなり、誰とも付き合わない孤独な暮らしをしていた。その孤独は「ひどい胸の痛み」となって彼女を苦しめるほどだった。だが或る日、昔、縁があった人の娘が、彼女の村に身寄りのない若い教師となって赴任して来る。

 「神よ、何かあの子のためにしてやれることを思いつかせてください」。ミス・ロイドは毎日、野生の花や果物を摘んで、匿名で娘に贈るようになった。

 日々は生き生きと輝いた。彼女は若返ったようだった。遠くまで果物を摘みに行き、体は痛んだが、娘に喜ばれるので幸福だった。娘を援助するために家宝の陶器を売った時も、恋人の形見を手放した時も幸福だった。

 誰かを愛する時、人は愛に満たされて、自分自身をも幸福にする。愛にはそんな力があるのだ。ミス・ロイドは人生の終わり近くになって、それを知り、喜びに包まれて残りの時間を生きたのである。

 私たちはそれぞれ、孤独という「胸の痛み」を抱えていて、自分では治せない。愛されれば癒えるのにと思っている。だが最善の治療法は、愛することなのである。

 娘の好きな花を誰も知らない木陰に見つけた時、ミス・ロイドはどれほど嬉しかっただろう。私たちのそばにも、よく見れば、誰かの好きな花が咲いていないだろうか。この物語には、生きる歓びと幸福がどこから来るかが書かれている。それを手に入れる方法も書かれている。

いつも生き生きと

森田 直樹 神父

今日の心の糧イメージ

 日ごとに積み重なっていく思い煩いや、毎日の人間関係でのしがらみ、また、混迷をきわめている社会情勢など、私たちの心が本当に休まる時は、なかなか見出せません。混沌と混乱の中で日々過ごしているかのような感覚を覚えています。

 時に、ふさぎ込んでしまったり、将来への希望を見失ったりすることもあります。現実を直視しないで、何か別のことへと逃避してしまっている自分自身にも気づかされます。

 厳しい現実を直視するのを避けようとする態度は、自分自身を守るために必要なことだとは思いますが、それだけでは一歩前へと進みだすことはできません。どこかで、現実をしっかりと見据えながら、希望を持ち続ける必要があります。

 希望を持ち続けることが難しい時だからこそ、心の中に希望を保ち続けたい、と願います。喜びを見出すことが難しい時だからこそ、心の中を喜びで満たしていきたいと願います。

 イエスさまは、弟子たちとの最後の食事の席で、次のように言い残されたと聖書は伝えています。「ところで、今はあなたがたも、悲しんでいる。しかし、わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない。」(ヨハネ16・22)

 イエスさまとの出会いの内に、奪い去られることのない本当の喜びを見出し、希望を持って日々、歩み続けること、これが「いつも生き生きと」生きていくための秘訣なのではないか、と私は思います。

 たとえ、一歩先が真っ暗闇であったとしても、現実逃避している自分自身の状況があったとしても、「わたしはいつもあなたがたと共にいる」と約束してくださるイエスさまに信頼して、日々、希望を持ち続けていきたいと思っています。


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