いつも生き生きと

黒岩 英臣

今日の心の糧イメージ

 「あなたは演奏している時が、一番生き生きとしているわ」。妻はよく私にそう言います。

 確かにこの40数年、妻には私の演奏の大半を見聞きして貰いました。

 その年月の間にも、疫病の蔓延のために社会の機能の多くが止まるというようなとんでもない事態を経験したのは、今年が初めてでした。

 音楽会もなくなると、練習に通うこともありません。すると、思いがけないほど暇ができました。そこで、これを活用して勉強もしましたが、朝寝に次いで昼寝の気持ちよさを憶えてしまいました。

 しかし、そのつけで、足腰が一層弱ったのを感じます。既に、ここ2、3年は、駅で電車を降りてからホールまで、例えば、300メートルとかのごく近距離の場合でも、歩くのが痛くて、やっとだったのです。まさかこの距離でタクシーに乗るわけにもいきませんし。

 ですが、根が怠け者ですから、運動して鍛えるのは絶対いやなのです。そういう訳で、私の目下の目標は、努力しないで数100メートル普通に歩けるようになる事なのです。

 そうこうしながら、我々夫婦も神様のもとへ引っ越すのも、そう遠くはないよねーなどの会話も生まれます。今回のコロナの折にも、まさかと思うような、誰でも知る有名人が突然亡くなって、世間の人々を驚かせたものでした。

 夫婦でも、どちらかがこの疫病で死亡した場合、柩の中の顔も見られないのだそうです。もし、私がこの世では二度と妻の顔を見られないともなったら、どれほど悲しいことかと思います。その思いがよぎるだけで、もう今から私の目には涙が滲みます。

 その時は、御子キリストの命を私達のために犠牲にして下さった神が、私達は「たとえ死んでも生きる」事を思い出させて下さいますように。

いつも生き生きと

片柳 弘史 神父

今日の心の糧イメージ

 「誰かが悲しそうな顔をしているのを見るとき、『あの人はまだ、イエスに何かを差し出すのを拒んでいるのだな』とわたしは思います」。

 マザー・テレサは、若い修道女に向けた講話の中でそう語った。人間の悲しみは、何かにしがみつくことから生まれる。執着を絶ち切り、すべてを委ねて生きるなら、わたしたちの顔は喜びに輝く。マザーはそう確信していたのだ。

 マザーの修道会の三大モットーの一つは「快活さ」だ。出会った人が思わずにっこりほほ笑んでしまうような、喜びに満ちた笑顔で貧しい人たちのもとへ出かけてゆく。くもりのない澄みきった笑顔で、生きることの喜びを貧しい人たちに伝える。それこそマザー自身がしていたことであり、若い修道女に願っていた何よりのことだった。

 そのために必要なのが、マザーの修道会の三大モットーの1番目と2番目にあたる「信頼」と「委ね」だ。自分にとって大切なもの、仕事や人からの評価、家族、親友、若さ、健康などが自分から取り去られるとき、それらにしがみつけば、わたしたちの心は不安や恐れ、怒り、苛立ちに満たされ、顔には苦しみの表情が浮かぶ。だが、これらのものが取り去られても、神さまがもっとよいものを与えてくださると信じ、手放すことができれば、その人の顔は静かな喜びに輝く。信じて手放した人の心を、神さまは喜びだけでなく、ひらめきや力、感動など、毎日を活き活きと生きるために必要なすべてのもので満たしてくださる。信頼と委ねこそ、マザーの快活さの源だったと言っていい。

 信じて委ねるとき、しがみついているものから手を離すとき、わたしたちの心は喜びで満たされる。日々を快活に生きるための知恵を、マザー・テレサに学びたい。


前の2件 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  13