いつも生き生きと

遠山 満 神父

今日の心の糧イメージ

 生き生きと生きる為の秘訣を、誰もが探し求めています。それ故、テレビのCMの多くは、このテーマを扱っています。健康食品や運動器具、その他諸々のCMは、私達にその秘訣を伝授しようとしているかのようです。

 精神的な分野では、しばしば「自分に正直に生きよ」と言われます。この場合、自分の何に正直に生きるのかが問題です。自分の中の本能の声でしょうか。或いは、自分の感情にでしょうか。もし、自分の感情や本能の声に対して正直に生きる事が、生き生きと生きる事に繋がると言われるのであれば、私はそれに対して反論せずにはいられません。何故なら、自分の本能や感情に正直に生きた時、しばしば自己嫌悪が起こって来るからです。「自分の欲求の赴くまま時を過ごしてしまった」とか、「自分の感情のまま相手に言ってしまった」とか。

 それでは、私達は、自分に正直に生きると言う時、自分の中の何に対して正直に生きるのでしょうか。それは、私達の良心よりも私達の心の奥深くに現存される、神に対してです。

 聖書の中に、次のような言葉があります。「如何に幸いな事か、(中略)主の教えを愛しその教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。時が巡り来れば実を結び葉もしおれる事がない。その人のする事は全て、繁栄をもたらす」。(詩編1・1~3)

 若い頃、自分の欲求や感情に従って生きる事が、生き生きと生きる事に繋がると考えがちです。けれども、振り返れば、そのように生きた時より、苦しくとも、神の教えに従って生きた時の方が、その後の自分の生活に、喜びが残っているのを体験するようになります。その喜びが、私達を生き生きとさせてくれるようになります。

いつも生き生きと

崔 友本枝

今日の心の糧イメージ

 いつも生き生きとしている神父さまを知っています。顔が輝き、笑顔は子どものようです。ミサの前も後も、必ず聖堂で祈っておられる姿は素晴らしいです。

 お説教では「私たちは世界で一番幸せです。神さまに愛されていることを知っているからです。神さまは頑固親父のようではない。優しい優しいお父さんです。このことをみんなに分かち合いましょう」、「最近、よかった出来事はなんでしょうか。それは偶然ではなく、神さまがしてくださったことです。感謝しましょう。恩知らずにならないように」とよくおっしゃいます。こういった言葉は私の胸の中に消えずに、まるで温かい小鳥のように住んでいます。

 実は、私たちに起きている状況は、神さまが特別なよいご計画をもち、たとえ苦労することがあっても、結果が最善となるようにはからってくださっているものです。私たちは不満に感じるとき、その状況を神さまの元にそのままもっていくといいのです。そして「あなたは、私がこの状況でどのようにふるまうことをお望みですか」と聞きます。くり返し神に聞き、祈るうちに私たちの心は変化します。

 「どうしても、このようにしてください。そうでなければ困るんです!」と神さまに指示する祈りではなく、何が最善の結果となるかをご存じの神、愛と慈しみしかないこの方に「あなたは私のためにこの状況が益となる方法をご存じです。私はどう行動すればいいですか」と信頼に満ちた祈りを捧げるなら、不満は消え、晴れやかになり、生き生きとした人になっていけるでしょう。

 私はちょうどこれを最近経験したばかりです。


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