新型コロナウイルス感染拡大で私たちの生活は激変した。
不要不急の外出を控えて家に篭もり、復活祭も教会で皆とお祝いできず、寂しい春だった。
5月25日に緊急事態宣言が全国的に解除されて一応ほっとしたが、倒産や解雇、退学など、生活に苦しむ人たちへの救援金が早く届くように!と、もどかしい思いをした。
何より、今も2次、3次の感染拡大を怖れつつである。
一方、ホームレスの方々にマスクを寄付したり、食料を配るボランティアが各地で起こり、自宅勤務のパパが子どもとキャッチボールして一緒にランチを作り、一家団欒する情景に心が温まる。
このコロナ禍は、経済優先に偏った今の生活を、助け合いの社会に変えるきっかけとなる試練なのかもしれない。
そんな中、家で一人祈っていると、祭壇のイエス様のお写真が急に生き生きと迫ってきた。憐れみ深くじっと見詰めるイエスの瞳!一瞬、天の光が差し込んだ様だった。
「そうだ!イエス様にご復活のお祝いを直接捧げよう!」私は大声で復活祭の賛歌を歌った。するとお写真のイエス様が微笑まれたようで、ぐ~んと身近に感じられた。
以来、不安やストレスが消えて、孤独の巣ごもりが、イエス様と私との密やかな黙想の【刻】となった。祈りの中で聖パウロの言葉の聖歌が通奏低音のように響いてくる。
【いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全てのことについて感謝しなさい】(1テサロニケ 5・16)
「死」にさえ打ち勝ったイエス様が共にいて、新しい命を吹き込んで下さるから、この困難な現状の中でも喜びを見出し、感謝することができるということか?
今後、世界中が協力して眼に見えない敵に打ち勝ち、共存・共栄の愛に満ちた新しい世界を築く叡智を探りたい。