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いつも生き生きと

植村 高雄

今日の心の糧イメージ

 最近の私の悩みはラジオやテレビから流れてくる暗いニュースです。私の心は乱れ乱れて、いつもの美しく楽しく感じている音楽が突然、騒音に変化したりします。大好きなお寿司が美味しくなくなったり、大好きな森の公園の小鳥の鳴き声や爽やかな風が煩わしくなるのです。味、香り、聴覚が、その時の私の心や健康状態で、大きく変化していくのに気付きます。

 生き生きしていた日々の想い出があればあるほど、今の虚しさが切ないのでしょう。虚しくなるので、私は敢えて青春時代を想い出す努力もやめてしまいます。過去を回想することで元気になる場合もありますが、どの世代でも将来の夢が大事なようです。

 私のここ数年の夢となっている思索テーマは「人間の死は永遠の生命への通過儀礼」という考え方です。この課題が私を、生き生きとさせてくれているのが不思議です。この思索をしていますと元気になってくるのです。永遠に生きる喜びと希望が燃え出すからでしょうか。

 特に最近、大学時代の友人たちとの話題で、一番興味をしめすのが、この「永遠の生命」という話題なのです。意外とスムーズに楽しく会話がすすんで、皆、生き生きと元気になるのです。

 旧約聖書の雅歌の話をしましたら、帰り際に本屋さんで購入した友人には驚きました。人間の愛について後日電話で質問してきたのですが、旧約聖書でのやさしさ、友情、愛情という考え方を始めて知った驚きについて語ってくれました。この年になって初めて知った雅歌という聖書で人間の魅力を見直し、今、生き生きと勉強会に通い出した友人に、何故か感動しています。